フォード・タウヌス
フォード・タウヌス (Ford Taunus)は、フォード社が1939年から1982年までドイツで生産したファミリーカーである。1952年から68年まではドイツ製フォード乗用車は大小問わず全て「フォード・タウヌス」であった。
1960年代当時の日本にもニューエンパイヤモーターや近鉄モータースなどのフォード系ディーラー各社を通じて多数輸入され、「タウナス」と呼ばれ親しまれていた。
G73A(1939-1942)/G93A(1948-1952)
戦前のドイツ・フォードの主力車種であった小型大衆車フォード・アイフェル の後継車として登場した2ドアモデルである。ドイツ・フォードの第二次世界大戦前の最後のニューモデルであった。
ドイツ・フォード初の油圧ブレーキや、同時期の米国フォード車とも共通の幅広流線型ボディを採用し、外観は大幅に近代化された。しかし、エンジンはアイフェルから引き継がれた在来型のサイドバルブ1172cc4気筒エンジン、シャーシも前後輪共に横置きリーフスプリング支持のリジッド・アクスルで、フォード流の信頼性重視な保守的設計からは脱していなかった。最高速度は100km/hを公称した。
量産開始されてからほどなく第二次世界大戦が勃発し、生産は戦時中一時中断されたが、1948年までに商用車を含め74,128台が生産された。1948年には外観をモダナイズしG93系となったが、内容は大同小異であった。
Mシリーズ
1952年以降のタウナスには12M・15Mなどと、排気量を示す二桁の数字と"Meisterstück"(英語の"Masterpiece")を意味するMのサブネームが与えられた。小型の12M/15M系統と、後に追加された中型の17M/20Mなどの2つのラインがあった。
12M・15Mシリーズ
初代・G13系 (12Mは1952-1959年、15Mは1955-1959年)
初の戦後型として、米国の1949年型フォード、イギリス・フォードの1950年型「コンサル」に似た機能的なフラッシュサイドのボディを与えられた。ボディはモノコック式となり、フロントサスペンションはマクファーソン・ストラット独立懸架が採用されたが、エンジンは依然在来型流用のサイドバルブ38馬力であった。1955年にようやくOHV化され、1498cc55馬力の15Mが追加された。1959年にはフロントグリルが変更され、1500ccモデルも「12M 1.5リッター」と呼ばれるようになり、15Mの名は一旦消滅する。
二代目・P4系 (1962-1966年)
V型4気筒エンジンと前輪駆動レイアウトを持ち、全く新しい設計再登場した12Mは本来、「カーディナル」というコードネームで計画され、米国でサブコンパクトカーとして生産される予定の世界戦略車であった。しかし市場調査の結果が芳しくなく、労働組合の反対などもあってドイツでのみ生産されることになった。エンジンは1183cc40馬力(最高速123km/h)と、1498cc50~65馬力(135~144km/h)で、2・4ドアセダンと2ドアクーペ、3ドアワゴン・デリバリーバンがあった。コンパクトな狭角V4エンジンとFFレイアウトで時流をはるかに超えた居住性やトランクスペースを実現していた。このエンジンは社外供給でサーブ・96の4ストロークモデルにも使用された。当初はラジエターの冷却ファンを省略したが、後に一般の自動車同様、改めて装備している。
三代目・P6系 (1966-1970年), 15M (P6) (1966・970)
流行のロングノーズ・ショートデッキスタイルに変更され、1500・1700ccエンジンが追加され「15M」の名が復活した(1700ccエンジンはマトラの4座スポーツカーのマトラ・M530にも用いられた)。
12Mは1183cc馬力・1305 cc50~53馬力、15Mは1498cc55~65馬力、1699cc70~75馬力であった。1969年モデルからは「タウヌス」の名称が外され、単に「フォード・12M」などと呼ばれた。1970年にはモデルチェンジされ、英国フォードのコーティナとほぼ共通の後輪駆動車となる(しばらく継続生産されたV型エンジン以外、英国フォード流の設計となった)。
17M・20M・26Mシリーズ
初代・P2系 (1957-1960年)
第二次世界大戦後の経済復興に伴い、より大型の車種投入が必要となったため追加されたニューモデルで、このクラスのベストセラー・オペル・レコルトと直接競合するモデルとなった。スタイルはアメリカの1956年型フォードに似たもので、1698cc60馬力エンジンで最高速度128km/hを出した。
二代目・P3系 (1960-1964年)
エアロダイナミックなボディスタイルに変身し、大きなセンセーションを巻き起こし、商業的にも成功したモデル。1498cc55馬力(最高速136km/h)、1698cc60~65馬力(138~140km/h)、1758cc70~75馬力(148~154km/h)の3排気量があった。日本でも宇津井健主演のテレビドラマ、「ザ・ガードマン」のパトロールカーとしてテレビ出演し広く親しまれた。(後にオペル・レコルトと交代する)
三代目・P5系 (1964-1967年)
ボディスタイルは一新されたが、旧型よりやや保守的で魅力に乏しいものとなった。反面エンジンは12M系のV型4気筒になり、1498cc・1699ccに加え、V型6気筒1998ccで85~90馬力を出す20Mも追加され、2ドア・ハードトップも登場した。二代目同様好調なセールスを維持した。
四代目・P7系 (1967-1968年)
機構的には三代目を踏襲したが、ボディスタイルをアメリカ風に一新した。トップモデルとして「20M 2.3(2293cc108馬力 最高速170km/h)が追加された。このモデルチェンジは大失敗で、翌年にはフェーズ2としてビッグマイナーチェンジを行なわざるを得なくなった。改良版はP7.2と呼ばれ、フロントエンドが一新された。また、「タウヌス」の名称が外され、単に「フォード・20M」などと呼ばれた。エンジンバリエーションは17Mの1498cc60馬力(最高速度)から新登場の26M(4灯式ヘッドライトが特徴)のV6・2550cc125馬力(180km/h)まで多岐にわたった。1972年にはモデルチェンジされ、コンサル・グラナダとして、英国フォードのゼファー・ゾディアックと統合された新型車に生まれ変わったので、P7.2は最後のドイツ・フォードの独自製品となった。
タウヌスTC (1970–1976)
1970年に再登場したタウヌスは前述の通り12M・15Mの後継車種として登場した2・4ドアセダン、2ドアクーペ、4ドアワゴンであったが、設計は英国式であった。これは1968年のエスコート、1969年のカプリに次ぐ英独一元化政策の産物で、フォード・コーティナMk IIIとはセダンのリアフェンダーとルーフラインが異なる(タウヌスはノッチバック、コーティナはセミファストバック)ことと、クーペがタウヌスにのみ設定されていたこと以外はほぼ同じ設計であった。ドイツのタウヌス愛好家たちにとっては後輪駆動・直列シリンダーエンジン・固定式リアサスペンションのTCシリーズは1950年代への逆戻りに他ならず、彼らはTCシリーズを"Barock-Taunus"と呼んだ。また、中央部が突出したノーズデザインは1960年代末にGM副社長からフォード社長にスカウトされながら一年余りで解任されたサイモン・ナッドセンの命令でデザインされたと言われ、"The Knudsen Nose"と呼ばれた。
タウヌス・マークIII (1976–1982年)
フルモデルチェンジを受けた1976年以降のタウヌスはコーティナと全く同じ車となった。外観はモダナイズされたが機構的には旧型と余り変わらず、1979年にフェイスリフトを受けて1982年、革新的なデザインの新型車・シエラが登場するまで生産された。