今回ご紹介する物は、主に街頭紙芝居として使われた物です。 紙芝居には幼稚園や小学校などの教育用に使用された印刷紙芝居と呼ばれる物と、昭和初期(昭和5年頃)から昭和30年代頃(地域によっては40年代頃)まで紙芝居屋と呼ばれた移動菓子販売業の人が客寄せのために使用した街頭紙芝居と呼ばれる物とに大別されます。 まずはちょっとだけ街頭紙芝居の歴史を説明いたします。 紙芝居屋は、昭和5年頃に興り「黄金バット」(作:鈴木一郎、画:永松武雄、貸元:蟻友会)や「少年タイガー」(作画:山川そうじ 貸元:そうじ映画社)等の影響で首都圏を中心に爆発的隆盛を誇るようになります。しかし内容的にエログロが多くなり、教育的に良くないとの社会的批判を受けたり、戦争へと向かう国情の中、物資不足、徴兵などの影響により昭和11年頃のピークで全国に1万2千人ほどいた紙芝居屋は、昭和15年には7,8千人まで減少します。さらに戦争へ