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内田樹とsocietyに関するbeth321のブックマーク (5)

  • コミュニケーション能力とは何か? - 内田樹の研究室

    土木学会というところから「コミュニケーション能力について」の寄稿を頼まれた。 9月に書いて送稿したものが活字になって今日届いた。 学会誌なので、一般読者の目に触れる機会はないと思うので、そこに書いたものを採録しておく。 「コミュニケーション能力」とは何か 就活している学生が「これからはもっとも重視されるのはコミュニケーション能力だそうです」と言うので、「うん、そうだね」と頷きながらも、この子は「コミュニケーション能力」ということの意味をどう考えているのかなとちょっと不安になった。 たぶん「自分の意見をはっきり言う」とか「目をきらきらさせて人の話を聞く」とか、そういう事態をぼんやり想像しているのだろうと思う。 もちろん、それで間違っているわけではない。でも、どうしたら「そういうこと」が可能になるかについてはいささか込み入った話になる。 例えば、どれほど「はっきり」発語しても、まったく言葉が人

  • 最低賃金制の廃止について (内田樹の研究室)

    維新の会が選挙公約として「最低賃金制の廃止」を打ち出し、波紋を呼んでいる。 公約発表時点では、私の知る限りどの新聞もこの公約について主題的に検討しなかった。 無視したのである。 その後、ネット上で反対論が噴出して、それを承けてはじめて報道するに至った。 この問題についてのマスメディアの無関心と危機感の希薄さが気になる。 これまで繰り返し書いているとおり、現在日のエスタブリッシュメントは政官財メディアを挙げて「若年労働者の雇用条件の切り下げ」をめざしている。 その理由は何度も書いてきた。 「日中国化」である。 大飯原発再稼働のときの財界の主張をご記憶だろう。 日にはもう生産拠点を置き続けることはできない。 その理由として指摘されたのが、人件費が高い、法人税率が高い、公害規制がきびしい、電力料金をふくむ生産コストが高い、という点である。 ここで原発を止めて火力に切り替えるなら、もう

  • 教育のコストは誰が負担するのか? - 内田樹の研究室

    増田聡くんがツイッターで、奨学金について考察している。 もう奨学金という名称を禁止すべきではないか。学生向け社会奉仕活動付きローンとか、強制労働賃金(返済義務あり)とか、いいのがとっさに思いつかないけど、現実を的確に解釈しかつ人口に膾炙するキャッチーな概念をこういうときにこそ考案するのが人文学の仕事なのではなかろうか。マジで。 すくなくとも現状の奨学金は奨学金ではなく貸学金と呼ぶべきだよな。 貸学金:たいがくきん。うっかり借りてしまうと社会奉仕を義務づけられ単位取得が滞りしまいには退学に追い込まれてしまう、恐ろしい学生ローンのこと。 今知ったんですが「貸学金」という言葉は中国語に存在しまして、うちの留学生の王さんにきいたところを総合するとほぼ日の学生支援機構「奨学金」と同種の学生貸付制度であるようだ(99年開始だとのこと)。一方で、中国には返済不要のちゃんとした奨学金も存在する。よっぽど

  • 格差と若者の非活動性について - 内田樹の研究室

    ある媒体から若者の労働観についてアンケートを受けた。 みじかい回答を期待していたはずだが、やたら長くなってしまったので、たぶんこのままでは掲載されないだろう。 自分としてはたいせつなことを書いたつもりなので、ここに転載して、諸賢のご叱正を乞うのである。 Q1.現在、世界では、経済格差(世代間格差ではなく、金持ちとそうではない人との格差)や社会への不満に対して、多くの若者たちが声を上げ、デモを起こし、自分たちの意見を社会に訴えようと行動しています。翻って日ではここ数十年、目に見える形での若者の社会的行動はほとんど見られません。これだけ若者たちにしわ寄せが行く社会になっているのに、そして政策的にも若年層に不利な方向で進んでいるのに、若者たちはなぜ、社会に対して何かを訴えたり行動したりしないのでしょうか? それは特に不満を感じていないからなのか、それともそうした行動に対して冷めているのか。ある

  • 「贈与経済」論(再録) - 内田樹の研究室

    『呪いの時代』に贈与経済について書いたものを再録しておく。 このアイディアはそのあと岡田斗司夫さんの「評価経済」論との対談でも重要なトピックになった。 岡田さんはじめ、いろいろな人たちがポスト・グローバル資主義のシステムについて新しいアイディアを提出している。 オルタナティブが必要だということに気づいている人もいるし、これまでの経済システム以外のものを想像できない人もいる。そして、不思議なことだが、「これまでの経済システム以外のものを想像できない人たち」が自分のことを「リアリスト」と呼んでいる。 そういう「リアリスト」たちと訣別すべきときが来ていると私は思う。 ここから下が引用。 商品への欲望が身体的欲求のレベルにまで鎮静したら、資主義は崩壊してしまうとエコノミストたちは恐怖しています。でも、僕はそうは思わない。何か違うことをやればいい。とりあえず、昔に戻って「贈与経済」をやればいいん

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